ことの始まりは今年の夏だった。修士一の論文のテーマを決めて、大規模の研究を始まった時。今考えてみると、それは恐ろしい事実を悟る第一歩であった。後悔はしていない。何せ事実を知るのは無知でいるよりましだ。
私は「日本之便所」を論文のテーマにして、どんどん取材した。その取材の中にかすかすの奇妙な情報が混じっていた。そう、パズルのピースのように。私がそのパズルのピースを全て集めるのは不思議で、運命だと言いたいところだが、ピースが全て集まった証拠はない。果たして私は事実の真のおぞましさが見えるでしょうか。
畳敷きの部屋の真ん中に、四角い穴がある。で、部屋は陰に溢れていて、薄暗い。ピカピカするものがあってはいけない。その神秘な薄暗さはその空間に肝心なのだ。まるでその空間は生きていて、有機的物だ。それはそうだ。何せ人間が作った子宮なのだ。人間は生まれて以来、子宮に戻るという衝動に迫られている。暖かくて暗いあの安全な場所に戻りたいって。胎児が与えてもらう愛は母親からだけではなく、子宮そのものからである。子宮は子供を愛して、守り、そして養うために存在するものなのだから。人間は永遠に子宮に恵まれなくて、それは悔しくて悔しくて、無意識に人工的子宮を作って、それを便所と名付けたという。
人間は便所に通う毎回も生まれ変わり、永遠に生まれる経験を繰り返す。なぜなら、便所で用を足せても、養ってもらえなくて、生まれるしかない。哀れ哀れ。
「雪隠の鬼」や「厠の神」の伝説も、「ピカピカする便器が嫌」という気持ちも、出産と便所が仏教に非難されるのも、全てこの悲劇に因る。禍々しくて、堪らないでしょう。